頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

宇宙の構造についての最新の研究成果を知る - 書評: 松原隆彦『図解宇宙のかたち』

松原隆彦の『図解宇宙のかたち』を読みました。


宇宙の大規模構造について、美しい図をふんだんに使ってわかりやすく説明しています。わかりやすくとは言っても、物理学の最先端の内容ですから、もともとかなりの知識をもっていないと完全に理解することは難しいでしょう。私も、パワースペクトルバリオン音響振動のところはよくわからないままにとりあえず文字だけ追いかけました。それでも、太陽系から銀河系、銀河群、銀河団、超銀河団と、スケールを広げながら宇宙の構造を説明していくところなどは、大変に知的好奇心をくすぐるもので、またロマンにあふれるものでした。ここだけでも、一読の価値はあると思います。


宇宙が、世界が、どのようにできているかということについて、物理学の視点からの最新の知識を学べる、大変勉強になる一冊でした。

 

 

図解 宇宙のかたち 「大規模構造」を読む (光文社新書)

図解 宇宙のかたち 「大規模構造」を読む (光文社新書)

 

 

生き方の表現としての場所 - 書評: 三浦展『100万円で家を買い、週3日働く』

三浦展の『100万円で家を買い、週3日働く』を読みました。


4章から構成されていますが、とくに第1章を大変興味深く読みました。そこでは、7人の実験的な生き方が描かれています。離島に移り住んで、古い家屋をリノベーションしながら町に活気を与える女性。広い農地付きの物件を買って、子どもに自然とのふれあいの場を提供するNPOを運営する夫婦。地域住民の憩いと体験の場としてのランドリーカフェをつくった女性。どのエピソード中の人物も、自分の意志に素直であり、しかもその意志は人を動かし惹きつける力をもっていました。


私は、こうした人たちの生き方を羨ましく思います。いずれのエピソードにも共通しているのは、人とのつながりを実現する場所を作り上げたということ。家、あるいは住処は、自分が帰属する場所であって、自分自身をよくよく表すものです。そうした場所が人びとの共感を呼び、人と人とをつなげる場となるのであれば、これに勝る幸せはなかなかないでしょう。


家というものを、単に寝泊まりする場所としてではなく、自分の生き方を示す場所として捉えること。あるいは、もっと広く、自分に関係するあらゆるものを、自分の生き方の表現と捉えること。そうすることで、日常の中にも、生活をより豊かなものとするための多くの工夫の余地が見つかるような気がしてきます。

 

 

100万円で家を買い、週3日働く (光文社新書)

100万円で家を買い、週3日働く (光文社新書)

 

 

文学が現実に対してもつ力

出身学科の教授が一人退官され、公開の最終講義が行われたので、久しぶりに大学に行きました。私は文学部の出身です。文学といえば、世間からすると、世の中の役に立たないもの、就職するにしてもつぶしの効かないものと考えられているでしょう。出身者としても、これは半分当たっていると思います。


文学をやる人の半分くらいは、文学が役に立たないものだということを認めた上で、しかし自分にとっては大事なものだからと取り組んでいるようです。残りの半分は、文学は言葉という基本的なものを考えるものであるからとか、人間の心理を解明する資料になるといった理由で、世の役に立つはずだと考えているように見えます。


私は、後者の意見に与しながらも、他のもっと直接に社会と関連する学問、たとえば工学とか経済学とか法学といったものと比べると、文学はやはり役に立たないと言わざるをえないと考えます。


しかし、それでも、文学研究には存在する価値があると信じます。その信念は、今回久しぶりに多くの文学研究者たちと交わって、思いを新たにしたものでもあります。


文学は、人に道を示すことができます。それは万人にとっての進むべき道ではないかもしれませんが、ある文学作品に自分の生き方を示してもらったという経験をした人は、少なからずいるのではないでしょうか。私もその一人です。


私が最も影響を受けた文学作品は、高橋和巳の『悲の器』です。大学受験を半年後くらいに控えたときに読み、そこで描かれている学者の生き様に感銘を受けて、文学部に進むことを決めました。人生の節目における決断で、人の意見をよく聴き参考にするのは、普通ことでしょう。その参考とするものが、文学作品中の登場人物であったり、文学作品自体であったりすることもありえます。なかなか信じられない人もいるかもしれませんが、文学作品に現実以上の現実味を覚える人もいるのです。


文学作品が現実に力を及ぼしえるのであれば、役に立つか立たないかといった実利的な観点からも、文学研究に価値を認めることができるでしょう。それは、私たちを物質的に豊かにするものではないかもしれませんが、私たちの心を動かし、決断させるものです。

自分らしくあるために個を尊重する - 書評: 菅野仁『友だち幻想』

菅野仁の『友だち幻想』を読みました。


流行っていたのでてっきり最近の本だと思っていたのですが、10年以上前に書かれたもので、著者はすでに亡くなっていたのですね。


相手のことをすべて理解し受け容れられるような人間関係は幻想にすぎず、それを追い求めすぎることは、かえって人とのつながりを窮屈で不快なものにしてしまう。より深い人間関係を志向しつつも、合わない人とは無理に合わせようとはせず、またそうせずにすむ社会をつくることが望ましい。これが、本書のメッセージだと思います。


周囲からの同調圧力を論じた本としては山本七平の『「空気」の研究』がありますが、こちらが同調圧力のために判断を誤ってしまうという実利的な面を主眼としているのに対し、『友だち幻想』の方は、同調圧力から生じる精神的な苦しみや葛藤をテーマとしているように思います。心の問題であるだけに、個人にとって切実な悩みを扱っていると言えるでしょう。


同調圧力はある程度普遍的な力学のように見えますが、とりわけ日本では非常に強力な力です。仕事や旅行でいろいろな国を訪れ、またフランスで働いてもみて思うことは、日本には型にはまった人ばかりだということです。それは、私自身もそうです。このようでなければならないという規範があって、それに合わなければ親や友だちや周囲の人から叱られ、非難されてしまう。似ていて互いに理解し合えるということは、望ましいことでありながら、度が過ぎると人の生き方を狭めてしまう。こうした不幸に対する警告の書として、あらゆる年代のあらゆる立場の人にとって有意義な考えが述べられた一冊だと思います。

 

 

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

 

 

「空気」の研究 (文春文庫)

「空気」の研究 (文春文庫)

 

 

障害を障害でなくしていくこと - 書評: 菊池良和『吃音の世界』

菊池良和の『吃音の世界』を読みました。


私は吃音をもっているわけではありませんが、言葉が出にくいことはあります。文章を書くことは嫌いでありませんが、小さいころは、人前で話すことが苦手でした。成長してからはむしろ大勢の前で話すことを楽しめるようになったのですが、ときどき困ることもありました。いまでも、電話を受けることは問題なくても、電話を自分からかけるのは苦手です。


一番よく思い出すのは、大学生のときのこと。アルバイト中、「ありがとうございます」という言葉が、なぜかうまく言えなくなったことがありました。うまく言えないかもしれないと思うと、そのためにまた言葉がぎこちなくなり、悪循環に陥りました。ただ、他の言葉は基本的には問題なく発すことができたのと、「どうも」のような前置きの言葉を入れればつっかえずに発音できたのとで、なんとか乗り切ることができました。


もっとも、多くの人がこうしたことを経験したことがあるのではないかと、勝手に思っています。そして、本書で紹介されているような吃音に苦しむ人々に比べれば、私の悩みなど取るに足りないものでしょう。


さて、この本は、自分自身の体験に照らして、吃音それ自体が一体どのような病気であって、どのような治療がなされているのかといった関心から読み始めました。しかしそれ以上に、「カミングアウト」をどう捉えるかということを学びました。吃音であるということを恥じて隠そうとし、苦しんできた患者やその親が、吃音を打ち明けることによって、吃音自体が治らなくとも安堵を得ていく例が、いくつも紹介されています。こうした効用は、吃音に限らないでしょう。秘密が減ることで心が解放される。それはたとえば、心に気がかりのある「未完了」の心理状態が、問題が解決されることで軽くなるのと似たことではないかと思います。


カミングアウトして受け容れられなければ辛いですが、カミングアウトしなければ、そもそも受け容れられるチャンスがありません。それに、もともとよい関係が築けている相手であれば、カミングアウトしても受け容れられるのではないでしょうか。


吃音を治す方法はなくとも、吃音を打ち明け、吃音であることが受け容れられる環境を作ることで、吃音をそもそも問題でなくすることが必要だ。私は本書のメッセージをこのように受け取りました。

 

 

吃音の世界 (光文社新書)

吃音の世界 (光文社新書)

 

 

少しだけ自由になるための対話の方法 - 書評: 梶谷真司『考えるとはどういうことか』

梶谷真司の『考えるとはどういうことか』を読みました。


この本では、考えるための手段として、哲学対話という営みが紹介されています。具体的な方法はいろいろとありえるのでしょうが、著者は以下のようなルールを推奨しています。


①何を言ってもいい。
②人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
④お互いに問いかけるようにする。
⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
⑥話がまとまらなくてもいい。
⑦意見が変わってもいい。
⑧分からなくなってもいい。


こうしたルールによって、自分の考え方の枠組みから離れることができます。すると、少しだけ自由に考えられるようになる。自由を獲得するということが、哲学対話の一つの大きな目的として挙げられています。


こうした自由な対話は楽しいものであり、実践することで人と人とのコミュニケーションが促されます。事例として、生徒の発言が活発になった小学校や、上司と部下の間の交流が密になった会社のことが紹介されています。


相手の話をよく聴くこと、そしてその上で適切な問いかけをすることという、当たり前のことが語られているのですが、それが日常の会話では当たり前にはできません。そこで、いくつかのルールを導入する。自由を縛るものとして捉えられがちなルールが、実は自由を保障するものであるという観点も、面白いものに思いました。


私自身は、哲学対話そのものではありませんが、その考え方を意識しつつ話す時間を、家族と設けるようにしてみました。考えることを促すために適切な質問をすることはなかなか難しいですが、会話から得られる満足度は確実に大きくなったと思います。妻が家族の今後のことをどのように考えているか、深く知ることができましたし、私自身も、将来のことをより具体的に考えられるようになりました。


人と自分自身をよく理解するための基礎となる、意義深い一冊でした。

 

 

 

自分の時間を確保することで忙しさを緩和する

仕事が忙しいときほど、自分のための時間をなんとかして確保すべきだと思います。その時間は、自己投資や気分を高めるために使います。私は仕事ばかりしていると、たとえそれが自分の好きなことであっても、果たしてこんな生活をつづけていていいものかという疑問をもってしまいます。


ただ、仕事が溜まっているときにあえて別のことを優先するのは、勇気のいることです。私がいま自分の時間を毎日なんとか確保しているのも、そうすることがメリットであると信じたからではなくて、実際にやってみたら効果があったからです。


きっかけは、佐藤優の『読書の技法』を読んだ(正確には、audibleで聴いた)ことです。私はもともと人よりは読書をする方でしたが、佐藤優が、たとえ速読であっても月に300冊も読むというのを聞いて、自分のやり方は足りないと思いました。そこで、とりあえず一日一冊のペースで読んでいこうと決め、実践しました。この半月くらいは、一日1.2冊くらいのペースです。

 

 

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

 


さて、これを実際にやってみたところ、心配したほどには仕事への影響はありませんでした。まず、冒頭で述べたようなわだかまりを感じることが少なくなりました。最低限の自分の時間を確保できているので、残りの時間はとにかく仕事に打ち込もうと気持ちを切り替えることができます。


これによって、仕事の効率も上がります。播磨早苗の『目からウロコのコーチング』によれば、心配事があると、エネルギーが心から失われて、何をするにも効率が落ちてしまうのだそうです。これは自分自身の経験からしても、そう思います。


Eさんのように、過去に気がかりがあり、目標にエネルギーを集中できない状態を「未完了」といいます。未完了にはいろいろな種類や大小があります。例えば、お歳暮の礼状を出していない、などという小さな「未完了」でもエネルギーロスとなり、私たちの行動を制限するのです。

 

 

目からウロコのコーチング―なぜ、あの人には部下がついてくるのか? (PHP文庫 は 46-1)

目からウロコのコーチング―なぜ、あの人には部下がついてくるのか? (PHP文庫 は 46-1)

 

 


さて、どのように自分の時間を確保しているかですが、これは主に二種類の方法を使っています。まず、通勤の時間をすべて自分のために使うことにしました。以前は電車の中でも仕事をすることが多かったのですが、これを思い切ってなくしました。その分朝早く出社したり、退社を遅らせたりしてはいます。しかし、以前の仕事時間と、今の仕事時間とを比べると、今の仕事時間のほうが多少短くなっています。集中して仕事に取り組めているようです。


第二に、仕事の休憩時間や夜寝る前などに、15分くらいですが時間を確保することにしました。この時間は読書ではなく、アウトプットのための時間としています(この文章もその時間に書いています)。アウトプットにはいろいろありますが、基本的には、その時々に学んだことを、自分の言葉で書いてみて、理解を深めることを主眼にしています。


自己投資と仕事との両立のために、自分の時間を作ってみてはいかがでしょうか。