頭の中に種をまく

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人はなぜ恐怖を楽しむことができるのか? - 書評: 戸田山和久『恐怖の哲学』

戸田山和久の『恐怖の哲学』を読みました。

 

著者は哲学に関する最新の話題を色々な書籍で分かりやすく紹介しています。『哲学入門』はとくにお勧めです。

 

書評: 戸田山和久『哲学入門』 (1) - 頭の中に種をまく

 

さて、本書は恐怖をテーマとしつつも議論が多岐にわたっているため簡単に要約することはできませんが、前半は恐怖あるいは広く情動というものの性質について述べ、後半はホラーというジャンルがいかにして成立しうるのかということを論じています。

 

私自身は、ホラーというものがあまり好きではありません。暗い夜道を歩くといった実際のことには恐怖を感じないのですが、映像では何か予期しえないことが起こるという不安があり、また、グロテスクな描写がどうも苦手だからです。それでも、恐怖が楽しいということもよくわかります。それでは恐怖がなぜ楽しくもありえるのかということは、私としても疑問に感じていたところですので、それを哲学的に精緻に論じている部分をとくに興味深く読みました。

 

吊り橋実験からもわかるように、われわれはたやすく恐怖の感じを胸のときめきと取り違えてしまう。感じは、それだけ取り出してどういう情動の感じなのかが言えるほど、きめ細かくないのかもしれない。したがって、自分が今どういう情動を抱いているかという意識的な認知は、その情動が何によって引き起こされているのか、その情動がどういう行動を動機づけているのかという文脈による解釈を含んでいると考えられる。要するに、情動の感じそのものは、大雑把すぎて、解釈次第で恐怖にも心地よい興奮にもなりうるのかもしれない。

 

「身体化された評価理論」という考え方で、ホラーの謎を説明しています。これは、恐怖を、対象の知覚そのものとかその解釈とかではなくて、対象の知覚により生じた身体反応を知覚することで生じる状態であるとする考えです。これが正しいとするなら、実際の危険(毒蛇が目の前にいるなど)であろうとホラーという虚構を観ているときであろうと同じような身体的反応(手に汗をかくなど)が生じることがおかしくない一方で、現実か虚構かの違いによって闘争か逃走かといった反応の有無が異なることも説明できます。

 

さらに、恐怖という状態そのものが必ずしも不快なものではないとすると、それをどのように解釈するかによって、恐怖自体が不快なものにも心地よいものにもなりえます。ホラーは、身の危険のない安全で心地よい恐怖をもたらすものだというわけです。

 

恐怖というテーマを軸にして、心の哲学や感情心理学など、情動に関連する知見を広く学ぶことができます。特異なテーマを扱いながらも現代哲学のある程度の広がりに触れることのできる、得るところの多い一冊でした。

 

 

恐怖の哲学 ホラーで人間を読む (NHK出版新書)

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哲学入門 (ちくま新書)

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