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大人の教養娯楽としての高校倫理 - 書評: 『もういちど読む山川倫理』

『もういちど読む山川倫理』を読みました。


高校の倫理の教科書を一般書として装丁を変えたものです。日本の高校教育には哲学の科目がありませんので、哲学的なことを学ぶ機会は、国語の現代文か倫理かしかありません。私は、基礎的な哲学教育は誰にとっても有意義なものだと思っているので、哲学に一番近い倫理という科目が必修でないことが遺憾です。


話は脱線しますが、かく言う私自身は、高校で倫理を学んでいません。そもそも、私の学んだ高校では倫理を選択することができませんでした。一方で、簡単な哲学書はいくらか読んでいたので、高校倫理の知識は意識しないままにある程度蓄えていました。入試の少し前に、たまたま見かけて解いてみたセンター試験倫理の問題で、当時学校で学んでいた地理や現代社会よりもよい点数がとれてしまいました。そのためセンター試験本番も倫理を選択し、やはり他の社会科の科目よりもよくできました。もしあなたが哲学に興味のある高校生なら、試しに倫理の問題を解いてみるとよいかもしれません。


さて、高校倫理は、大学で学ぶ倫理とは少し違います。大学で学ぶ倫理は、学問的・理論的な枠組みと、個々の理論の詳細との二本立てになるのが一般的かと思いますが、高校倫理では枠組みの話はほとんどありません。


もう少し具体的に言えば、たとえば倫理学は大きくメタ倫理学・規範倫理学・応用倫理学に分類されます。メタ倫理学は、善とは何かとか、正しいことと実践すべきこととは同じことなのか違うことなのかといった、「そもそも」のことを論じます。こうしたメタ倫理学の議論は、高校倫理には一切登場しません。


規範倫理学は、どのような行為を善とするかといったルールに関するものです。普通は、功利主義、義務論、徳倫理学といった分類で立場が整理されます。高校倫理では、このそれぞれについての説明がベンサムとかカントとかアリストテレスとかの個々の論者を扱うのと同時に紹介されていますが、それらが規範倫理学の基本的な立場であるという枠組みは提示されません。


このような枠組みが示されないため、倫理学の全体像を掴むということが、高校倫理の教科書では困難です。その一方で、多くの論者の主張のエッセンスを掴むことができるというメリットがあります。このため、試験といったものに囚われない社会人こそ、アンソロジー的な高校倫理をより楽しめるかもしれません。倫理学の全体を俯瞰するには、一般的な(規範)倫理学の参考書を読むのがよいですが、教養として楽しむためならば、『もういちど読む山川倫理』は大変優れた素材です。

 

もういちど読む山川倫理

もういちど読む山川倫理