頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

他者の生き方を尊重する働き方

前職の後輩と食事をしました。部署が全く異なっており、退職する直前までほとんど交流もなかった後輩なのですが、何かきっかけがあったのか私のことを慕ってくれており、退職後に時々一緒に食事をするようになりました。話すことの大半はキャリアの相談なのですが、今回、働き方が話題になりました。


前職はフランス系の企業で、フランスをはじめとする海外のグループ企業との交流が頻繁にありました。私自身もしばらくフランスで仕事をしたことがあり、また、帰国後に働く中でも、色々な国の同僚達とともに仕事をしてきました。今回一緒に食事をした後輩は、先日2週間ほどヨーロッパに研修をしに行っていました。はじめてのヨーロッパでの2週間で、私がフランスでの生活で感じたのと全く同じ感想をもったそうです。


それは、日本人の働き方がとても窮屈なものだということ。私は今日本の会社で働いていて、とくにそれを強く感じます。例えば、休日というものの捉え方。私は土曜日や日曜日に仕事のメールを受け取ると、非常にストレスを感じます。休日に自分から仕事のメールや連絡をすることはまずありません。それは、休日にそんな連絡を受けたら、相手がきっと不快な思いをするだろうと思うからです。


どうも日本の多くの企業で働く人にとっては、休日に仕事の連絡を受けることは当たり前のことと認識されているようなのですが、それでも私はそういったことができません。


日本でもこの数年働き方改革ということが頻繁に言われていますが、それは形式的な議論であって、本当に働き方を改めたいと思っているようには見えません。日本人は働きすぎているからもう少しそのペースを落とそうとしているだけのようです。


働き方改革で本当に目的とすべきことは、相手の生き方と自分自身の生き方をともに尊重することだと考えます。個人事業の社長ならまだしも、組織のために働く大多数の人にとって、仕事とプライベートはどうしても一線を画すものであるはずです。人生の目的が金銭的価値や生活の手段獲得に直結するものであれば、いくら働いても苦痛はないかもしれません。しかし、人生で実現したいことの多くは、収入に結びつくものではないでしょう。仕事だけを目的にしては生きていけない人は、世の中に大勢いるはずです。


個人の人生の目標は尊重されるべきですし、家族との時間は会社のために犠牲になることがあってはなりません。仕事のために本来自由に使えるはずの時間を拘束することは、その人の目的や権利を蝕むからです。


たとえば、家族の働き方。夫も妻もともに働き、しかも子どもがいる場合、どちらか一方でも仕事の負担が過剰であれば、家庭のことはもう一方に集中することになってしまいます。ちょうど、わが家もいまこのような状態です。夫が働き妻が家事子育てをするという古いモデルならまだしも、妻も夫も仕事をしたい場合には、こうした働き方は不可能です。まして、休日にまで仕事をすることが必要であれば、一体誰が子どもの世話をするのでしょうか。


個々人の目的や生き方を尊重できる働き方を選んでいきたいものです。