頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

意思決定論の数学的背景を知りたいなら - 書評: 木下栄蔵『わかりやすい意思決定論入門』

木下栄蔵の『わかりやすい意思決定論入門』を読みました。


私はもともと多少はオペレーションズ・リサーチを勉強していたのですが、それでもこの本は「わかりやすい」とは言えませんでした。いろいろなツールが紹介されているものの、そのツールがどのようなものかということを説明する前に細かな数学的説明が始まり、しかも各変数の意味も順を追って詳しく説明されるわけではないので、初学者が読んでも全く意味がわからないと思います。


たとえば私はAHPをときどき実際に使用するので、AHPについての章は理解できました。しかし、何も知らない状態でこの本を読んで何かを得られたかというと、得られなかっただろうと思います。AHPの場合は、まず実際の表がどのようなフォーマットで、そこにどのような数字を入れて、そしてどのように結果が出るということを実際に見せるほうがよほど効率がよいと思いますし、そうせずに各プロセスの話を始めても、一体それがどのようなもので、なんのためにやっているのか、見当がつかないでしょう。残念ながらこの本は、ツールが使えるようになることを主眼としてはいないようです。


もともと知識をもっている人がより詳細な数学的背景を知るために読むのであればよいでしょう。そうでなければ、もっと実用的な参考書を先に読むべきです。


ORの基本図書としては、以下のものがおすすめです。このシリーズのものはどれもそうですが、根本の部分をたいへんわかりやすく説明してくれています。

 

 

ORのはなし―意思決定のテクニック

ORのはなし―意思決定のテクニック

 

 

 

わかりやすい意思決定論入門―基礎からファジィ理論まで

わかりやすい意思決定論入門―基礎からファジィ理論まで

 

 

他者の生き方を尊重する働き方

前職の後輩と食事をしました。部署が全く異なっており、退職する直前までほとんど交流もなかった後輩なのですが、何かきっかけがあったのか私のことを慕ってくれており、退職後に時々一緒に食事をするようになりました。話すことの大半はキャリアの相談なのですが、今回、働き方が話題になりました。


前職はフランス系の企業で、フランスをはじめとする海外のグループ企業との交流が頻繁にありました。私自身もしばらくフランスで仕事をしたことがあり、また、帰国後に働く中でも、色々な国の同僚達とともに仕事をしてきました。今回一緒に食事をした後輩は、先日2週間ほどヨーロッパに研修をしに行っていました。はじめてのヨーロッパでの2週間で、私がフランスでの生活で感じたのと全く同じ感想をもったそうです。


それは、日本人の働き方がとても窮屈なものだということ。私は今日本の会社で働いていて、とくにそれを強く感じます。例えば、休日というものの捉え方。私は土曜日や日曜日に仕事のメールを受け取ると、非常にストレスを感じます。休日に自分から仕事のメールや連絡をすることはまずありません。それは、休日にそんな連絡を受けたら、相手がきっと不快な思いをするだろうと思うからです。


どうも日本の多くの企業で働く人にとっては、休日に仕事の連絡を受けることは当たり前のことと認識されているようなのですが、それでも私はそういったことができません。


日本でもこの数年働き方改革ということが頻繁に言われていますが、それは形式的な議論であって、本当に働き方を改めたいと思っているようには見えません。日本人は働きすぎているからもう少しそのペースを落とそうとしているだけのようです。


働き方改革で本当に目的とすべきことは、相手の生き方と自分自身の生き方をともに尊重することだと考えます。個人事業の社長ならまだしも、組織のために働く大多数の人にとって、仕事とプライベートはどうしても一線を画すものであるはずです。人生の目的が金銭的価値や生活の手段獲得に直結するものであれば、いくら働いても苦痛はないかもしれません。しかし、人生で実現したいことの多くは、収入に結びつくものではないでしょう。仕事だけを目的にしては生きていけない人は、世の中に大勢いるはずです。


個人の人生の目標は尊重されるべきですし、家族との時間は会社のために犠牲になることがあってはなりません。仕事のために本来自由に使えるはずの時間を拘束することは、その人の目的や権利を蝕むからです。


たとえば、家族の働き方。夫も妻もともに働き、しかも子どもがいる場合、どちらか一方でも仕事の負担が過剰であれば、家庭のことはもう一方に集中することになってしまいます。ちょうど、わが家もいまこのような状態です。夫が働き妻が家事子育てをするという古いモデルならまだしも、妻も夫も仕事をしたい場合には、こうした働き方は不可能です。まして、休日にまで仕事をすることが必要であれば、一体誰が子どもの世話をするのでしょうか。


個々人の目的や生き方を尊重できる働き方を選んでいきたいものです。

台湾の歴史を手軽にしかし真剣に学ぶために - 書評: 胎中千鶴『あなたとともに知る台湾』

胎中千鶴の『あなたとともに知る台湾』を読みました。


少し時間は経ちましたが、この連休中に台湾に行きました。観光のためだけに海外に出かけるのは随分久しぶりのことでした。


せっかく台湾に行くのだからといくつか歴史関係の本を読んでみたのですが、この一冊はその中でも最も分かりやすく書かれていたものでした。語り口は軽妙なのですが、日本による侵略の時代から、中国復帰、そして中華民国としての曖昧な立ち位置に至る沈鬱な歴史を、正面からとらえて描いています。読みやすさと内容の真剣さとのバランスが、非常によくとれていると感じました。とりわけ、228事件の顛末については大変分かりやすく印象的に書かれており、台湾の歴史における位置づけがよくわかりました。その印象が大変強かったので旅行中に228記念館を訪問してみたのですが、広島の平和祈念公園と同様、戦争と平和というものについて考えさせられる、行ってよかったと思える場所でした。


台湾は海外旅行の目的地として日本人に大変人気のあるところですが、あまり歴史について学んでから行くという人はいないのではないかと思います。この薄い一冊を読むだけでも非常に勉強になるので、台湾に行く前に、是非読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

世界の今を知る - 書評: ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』

ハンス・ロスリングの『ファクトフルネス』を読みました。


私は一時期国際協力に興味があり、いろいろと勉強していました。この本には世界の今の姿をどのくらい正確に理解しているかというテストがあって、著者が出題した限りでは、全問正解した人はいなかったそうです。私も13問のうち、正解は10問でした。平均的には正答率は1-2割程度のようで、それに比べればよくできたのでしょうが、一見して「当然知っているべき」と思えるような問題ばかりで、それを知らないでいる(正答が多かったのも知っていたからではなく、考えて答えてたまたま合っていただけです)ということを、恥ずかしく思いました。


世界はよくなっているというのが主要なメッセージではありますが、私が得た感想は、「それでも世界はまだまだよい場所ではない」というものです。生活のレベルを一日あたりの収入に応じて4段階に分けており、最も貧しいレベル1には8億人くらいが属しています。(日本人の多くが属する)レベル4から見ればレベル1から3までが一様に貧しいが、実際にはこれら三者の間には大きな隔たりがあるということが論じられています。それは確かにそうなのでしょう。しかし、だからといってレベル2や3の生活で十分ということにはなりません。


そしてより強く感じたのは、レベル4の収入があっても、それは必ずしも幸せと同義ではないということです。所得とか健康といった観点からは、世界はきっとよくなっている。けれども、それは幸福の十分条件ではありませんし、必要条件でもないと思います。


本書で紹介されている10の視点によって、よりよい生き方を考えていければと思います。


なお、著者によるDollar Streetという面白い取り組みがあります。各レベルの人びとの暮らしを、写真によって紹介するものです。
本書に興味があれば、まず覗いてみるとよいです。


https://www.gapminder.org/dollar-street/

 

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

想像力の源泉としての神話 - 書評: 後藤明『世界神話学入門』

後藤明の『世界神話学入門』を読みました。
 
世界の神話はゴンドワナ型神話群とローラシア型神話群という二つの系統に大別され、とくにローラシア型神話群にはプロットに一定の法則性が観察されるという、大変にスケールの大きな仮説が紹介されています。プロップの『魔法物語の研究』を神話に適用したような議論で、私は大学のときに中世文学のあるジャンルの作品群を同様の手法で分析したことがあったので、大変興味深く読みました。
 
私自身は、特定の神話が一つの地点から大陸を超える規模に拡散するということがあり得ると思いますが、直感的には人間の認知のあり方とか、自然環境の類似といった要素によって似た物語が生成されることの方がもっともらしいと感じるので、どういうプロセスで神話が伝播されたかという考証的な議論はあまり深く立ち入る必要がないと感じました。
 
その一方で、世界のさまざまな神話のエッセンスがふんだんに紹介されていることは、想像力を掻き立て、それぞれの神話をもっと深く知りたいと思わせるものでした。とくに、ゴンドワナ型神話群に分類されている神話は、通常の論理とか発想とは領域を異にするもののようで、大変興味をそそられました。
 
神話に限らず、昔話・童話といったジャンルに興味をお持ちであれば、きっと楽しめる一冊であると思います。
 

 

世界神話学入門 (講談社現代新書)

世界神話学入門 (講談社現代新書)

 

 

 

大人の教養娯楽としての高校倫理 - 書評: 『もういちど読む山川倫理』

『もういちど読む山川倫理』を読みました。


高校の倫理の教科書を一般書として装丁を変えたものです。日本の高校教育には哲学の科目がありませんので、哲学的なことを学ぶ機会は、国語の現代文か倫理かしかありません。私は、基礎的な哲学教育は誰にとっても有意義なものだと思っているので、哲学に一番近い倫理という科目が必修でないことが遺憾です。


話は脱線しますが、かく言う私自身は、高校で倫理を学んでいません。そもそも、私の学んだ高校では倫理を選択することができませんでした。一方で、簡単な哲学書はいくらか読んでいたので、高校倫理の知識は意識しないままにある程度蓄えていました。入試の少し前に、たまたま見かけて解いてみたセンター試験倫理の問題で、当時学校で学んでいた地理や現代社会よりもよい点数がとれてしまいました。そのためセンター試験本番も倫理を選択し、やはり他の社会科の科目よりもよくできました。もしあなたが哲学に興味のある高校生なら、試しに倫理の問題を解いてみるとよいかもしれません。


さて、高校倫理は、大学で学ぶ倫理とは少し違います。大学で学ぶ倫理は、学問的・理論的な枠組みと、個々の理論の詳細との二本立てになるのが一般的かと思いますが、高校倫理では枠組みの話はほとんどありません。


もう少し具体的に言えば、たとえば倫理学は大きくメタ倫理学・規範倫理学・応用倫理学に分類されます。メタ倫理学は、善とは何かとか、正しいことと実践すべきこととは同じことなのか違うことなのかといった、「そもそも」のことを論じます。こうしたメタ倫理学の議論は、高校倫理には一切登場しません。


規範倫理学は、どのような行為を善とするかといったルールに関するものです。普通は、功利主義、義務論、徳倫理学といった分類で立場が整理されます。高校倫理では、このそれぞれについての説明がベンサムとかカントとかアリストテレスとかの個々の論者を扱うのと同時に紹介されていますが、それらが規範倫理学の基本的な立場であるという枠組みは提示されません。


このような枠組みが示されないため、倫理学の全体像を掴むということが、高校倫理の教科書では困難です。その一方で、多くの論者の主張のエッセンスを掴むことができるというメリットがあります。このため、試験といったものに囚われない社会人こそ、アンソロジー的な高校倫理をより楽しめるかもしれません。倫理学の全体を俯瞰するには、一般的な(規範)倫理学の参考書を読むのがよいですが、教養として楽しむためならば、『もういちど読む山川倫理』は大変優れた素材です。

 

もういちど読む山川倫理

もういちど読む山川倫理

 

 

ストレスを自分の問題として捉えること - 書評: 見波利幸『心が折れる職場』

見波利幸の『心が折れる職場』を読みました。


ストレスに悩む知人から、自分の状態を理解するのに役立ったと勧められました。メンタルヘルスケアに関心があったので、せっかくの機会だからと読んでみました。


内容としては、メンタルヘルスケアの具体的な内容に触れる一歩手前で、「なぜメンタルヘルスケアが必要か」ということを説いています。ある程度の知識がある人にとっては物足りないかもしれませんが、最初の一冊としては大変よいと思います。


仕事のせいで鬱になってしまう原因として、著者は、潜在的な能力不足の意識を重要視しているようです。この視点は私にはあまりありませんでしたが、言われてみればなるほどと思えるものでした。これは本人が自覚し言い出さない限りは職場として対処することが難しいので、解決が非常に困難な問題に思います。それに、あまり仕事のレベルが高すぎるとストレスになってしまうからといって、簡単な仕事ばかり用意していたのでは向上心のある人には物足りないでしょうし、なにより企業として立ち行かなくなってしまいます。企業がストレスを職場の問題と認識して解消に取り組むのと同時に、働く個々人も、自分のストレスをきちんと見つめる勇気をもつことが必要である。そう思わせてくれる一冊でした。

 

心が折れる職場 日経プレミアシリーズ

心が折れる職場 日経プレミアシリーズ