頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

自分の頭の中を見る手段としてのブログ

その日その時どきに学んだこと、考えたことを記録したいとき、いろいろな媒体がありえます。例えば紙のノート。例えば手帳。例えばテキストファイル。私はそのためにこれまでEvernoteを使ってきましたし、それはこれからも続けていくでしょう。Evernoteの中の文章は、私の内面を映す、クラウド上のプライベートな空間。そこでは何の気兼ねもなく思ったことをそのままに書くことができます。人に理解されるかどうかということを気にしなくてもよい。誤字や脱字がないかといったことも気にしなくてよい。

 

しかし、人の内側には、プライベートな媒体に現れにくい部分があるのではないかと感じるようにもなってきました。自分のためだけに文章を書くことは、あまりに負荷が小さく、自分の中にあるものを真剣に掘り出そうとはできないように思うからです。

 

自分のためだけに文章を書くことも、もちろん役に立つことです。けれども、自分に負荷をかけずに吐き出された文章は、自分の表面を漂っているだけのもの。そうではない、他人の文章を一語一語丁寧に読み解くようなしかたで格闘しなければ理解できない思考が――あるいは嗜好が――自分自身の中にあるように思うのです。そうして、そういう思考に気づくことこそ、自分自身を自分の望むように変えていく力をもちうると思うのです。

 

しかし私は、ここで私が言う「内面の私」というものが、生まれついての私、本来の私と思っているわけではありません。それは、私がインプットした本とかニュースとか他者の話といったものを、私という個性が、ときに意識的に、ときに無意識に処理して生じてきたものでしょう。そういうインプットを、他者に分かるような形でアウトプットすることでこそ、私自身が何を考えているのか、何を信じられるのかといったことが分かるように思います。

 

ブログというのは、ただ自分のために書いているのであっても、公共の目に触れる可能性が少しだけあるという点で、ちょうどよい緊張感を与えてくれるようです。ごく短い文章になることがほとんどでしょうが、これから、人に見られるかもしれない場所に文章を載せていくことで、自分自身がどういう人間なのかを知っていきたい、さらには自分を変えるきっかけにしたいと考えています。