頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

「動いたら撃つぞ」と言われた場合にどうするべきか

どこでだったか忘れてしまいましたが、「Don't move, or I'll shoot.」と「動いたら撃つぞ」というのは論理的に等値であると述べる文を読んだことがあります。これは確かにそうでしょう。この両者が偽となるのは、発言者の立場からだと、「相手が動いて」、かつ「自分が撃たない」場合のみで、それ以外の場合は論理的には真となります。

 

論理的に等値であるのに表現の仕方が違うのですから、日本語での自然な文の作り方と英語での自然な文の作り方とには、それぞれ異なる発想が底流していることになります。どうしてこういう違いがあるのか、他にどのような例があるかといったことは、なかなかきりのない問いで、興味深いです。

 

さて、実際に「動いたら撃つぞ」という発言を受けたとして、どのように行為すれば正解かということを考えてみます。撃たれないためには、「動かない」のが最善の――というより、唯一の――解であるように思えます。動いたら撃たれてしまうからです。

 

ところが、論理的には、あるいは論理学的には、「動かない」相手を「撃った」としても、偽とはなりません。この二つの文は、「動いた」場合にどうするかということは述べていても、「動かない」場合にどうするかということは述べておらず、したがって、相手が「動かない」場合に何をしようが、嘘をついたことにはならないからです。

 

しかし、これはほとんどの人の日常的な言語感覚に反すると思います。「動かない」相手を「撃った」としたら、それは嘘をついた、あるいは道義にもとる、といった判断を受けるでしょう。「相手が動いて」、かつ「自分が撃たない」場合のみを偽とする記号論理学的な理解は、現実に即していないのです。

 

その一方で、日常的な理解と、記号論理学的な理解とが一致する例もやはり多々あるでしょう。それではこうした理解の一致・不一致がどうして生じるのかということも、考えてみると面白いでしょう。