頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

今あるもので満足すること、今までの自分の経験を肯定すること

今日、テレビで次のような映像を目にしました。

 

海外の商店の防犯カメラに赤ちゃん連れの父親が写っている。赤ちゃんはベビーカーに乗っており、二人は道路のショーウインドウ際にいる。突然、コントロールを失った自動車が二人めがけて進んでくる。父親はとっさに子どもを抱き上げ、自分の身で守ろうとする。車は父親を巻き込んでショーウインドウに突っ込み止まる。幸い、父親も子どもも無事である。父親がとっさに子どもを抱きかかえられたのは、ラグビーの経験の賜物だと締めくくられる。

 

ラグビーの経験がなければ子どもをすぐに抱き上げられないかといえば、そんなことはないと思いますが、それでも、その経験が子どもを救うのに多少なりとも活かされたと考えることはできます。これは幸運による奇跡であると言えなくもありません。

 

それでも私は、これを奇跡にしてしまうことをもったいなく思います。困難に立ち向かわねばならないとき、人は、自分のもっている手段によってしか対処することはできません。そして、適切な手段をもちあわせなければ、その困難を乗り越えることはかないません。

 

しかし、適切な手段が一通りとは限りません。むしろ、受験の問題ででもない限り、解答が一通りだけということは滅多にありませんし、受験の問題ですら多様なアプローチの仕方がありえることは明白です。

 

父親が我が子をすばやく抱き上げるために役立つ経験は、ラグビーだけではないでしょう。さらに、まさにこの場面であっても、子どもを救うための手段は抱きかかえること以外にもあったはずです。

 

ならば、奇跡によってしか解決できないと考えるよりは、自分のもつ手段を駆使すれば解決できるのではないかと考えるほうが、生産的です。未来が予測できない限りは、未来の状況に直接に役立つ手段を獲得できるかどうかは確率に依存します。しかし、たとえ運悪く直接の解決策をもっていなくとも、蓄積してきた自分の経験と知識とを活用してなんとかするのだと思うほうが、本当に解決できる確率は高まるでしょうし、過去と今の自分を肯定できるという点で健康です。