日本人にとっての空気と水 - 書評: 山本七平『「空気」の研究』
山本七平『「空気」の研究』を読みました。すでに古典的な評価を受けている作品ですので読みたいとは思っていたのですが、思うだけでなかなかそのタイミングがなく、今回ようやく時間を確保することができました。
正直なところ、議論に完全についていくことはできませんでした。多少古い著作だということもあり、常識として説明なく引用されている時事的なことがらが一体どういう意味をもつとして紹介されているのか、分かりかねるところが多かったからです。しっかりと理解しようと思えば、田中角栄とかカーターとかの時代の出来事を、言及されるたびに調べて意味づけしていかなくてはいけません。これはなかなか骨の折れる作業で、私にはちょっとその元気はありません。
ただし、そうしたエピソードの理解は大変でも、全体としての議論を追うことはできます。日本には近代化以降理性的な議論よりも「空気」が重んじられる空気が生じていること、新しいことに乗り出そうという「空気」が生じても現実という別の「空気」によって水を差されるので革新的なことが起きないこと、などが論じられています。これは今の世の中にもよく――あるいは、KYという言葉が流行った今の世の中にこそよりはっきりと――生じる事態でしょう。
惜しむべきは、こうした「空気」をいかに霧消させるかという対処法が論じられてはいないということです。「空気」にいかに水を指すかを考えながら、日々の理不尽に立ち向かっていきたいものです。