頭の中に種をまく

その時々に読んだもの、見たもの、聞いたものについて考え、紹介します。

障害を障害でなくしていくこと - 書評: 菊池良和『吃音の世界』

菊池良和の『吃音の世界』を読みました。


私は吃音をもっているわけではありませんが、言葉が出にくいことはあります。文章を書くことは嫌いでありませんが、小さいころは、人前で話すことが苦手でした。成長してからはむしろ大勢の前で話すことを楽しめるようになったのですが、ときどき困ることもありました。いまでも、電話を受けることは問題なくても、電話を自分からかけるのは苦手です。


一番よく思い出すのは、大学生のときのこと。アルバイト中、「ありがとうございます」という言葉が、なぜかうまく言えなくなったことがありました。うまく言えないかもしれないと思うと、そのためにまた言葉がぎこちなくなり、悪循環に陥りました。ただ、他の言葉は基本的には問題なく発すことができたのと、「どうも」のような前置きの言葉を入れればつっかえずに発音できたのとで、なんとか乗り切ることができました。


もっとも、多くの人がこうしたことを経験したことがあるのではないかと、勝手に思っています。そして、本書で紹介されているような吃音に苦しむ人々に比べれば、私の悩みなど取るに足りないものでしょう。


さて、この本は、自分自身の体験に照らして、吃音それ自体が一体どのような病気であって、どのような治療がなされているのかといった関心から読み始めました。しかしそれ以上に、「カミングアウト」をどう捉えるかということを学びました。吃音であるということを恥じて隠そうとし、苦しんできた患者やその親が、吃音を打ち明けることによって、吃音自体が治らなくとも安堵を得ていく例が、いくつも紹介されています。こうした効用は、吃音に限らないでしょう。秘密が減ることで心が解放される。それはたとえば、心に気がかりのある「未完了」の心理状態が、問題が解決されることで軽くなるのと似たことではないかと思います。


カミングアウトして受け容れられなければ辛いですが、カミングアウトしなければ、そもそも受け容れられるチャンスがありません。それに、もともとよい関係が築けている相手であれば、カミングアウトしても受け容れられるのではないでしょうか。


吃音を治す方法はなくとも、吃音を打ち明け、吃音であることが受け容れられる環境を作ることで、吃音をそもそも問題でなくすることが必要だ。私は本書のメッセージをこのように受け取りました。

 

 

吃音の世界 (光文社新書)

吃音の世界 (光文社新書)